ファイン・ヤング・カニバルズ「Johnny Come Home」 ー ロックンロールの奇術師#6.2


“Johnny Come Home” Fine Young Cannibals
「ジョニー・カム・ホーム」 ファイン・ヤング・カニバルズ


ザ・ビートにおいて役割・立ち位置的に、もっとも目立たないと言っていい2人の白人メンバー:ギターのアンディ・コックスとベースのデイヴィッド・スティールは、ライヴや映像ではチャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーやジェイムズ・ブラウンを想わせるグキグキフニャフニャした足も挫けよとばかりのステップ・アクションで2トーン・ムーヴメント時代から局地的に有名だった。3人の「花形」の後ろで地道にグルーヴを下支えするコックス&スティールの、汎黒人音楽エンスーっぷりとクールネス美学が既にそこに表れていた、と言っては言い過ぎだろうか。どうあれ、ファイン・ヤング・カニバルズの「Johnny Come Home」のMVでは2人のそのレッグ・アクションが健在なのが披露され、往年のファンは感慨深い微笑ましさを覚えたことだろう。



旧い同志にしてライヴァルとなったジェネラル・パブリックの「Tendeness」に遅れることちょうど1年の1985年の5月、ファイン・ヤング・カニバルズはさりげなくも驚異的な傑作シングル:「Johnny Come Home」でデビューし、コックス&スティールの熟成し発酵し臨界を超えた才能の冴えを炸裂させた。イングランド人とガーナ人のハーフ:ローランド・ギフトの独特にソウルフルなヴォーカルを迎え、ディープでコアでエンスージアスティックであってこそ辿り着け捻り出せる類いの、斬新にしてクラシカルなオリジナル・ソウルのニューエスト・モデルが驚くほどさらりと提示されている。



モダン・ジャズ的な憂いを帯びたトランペットによるイントロと負けず劣らず憂愁香るソウルフルで独特なヴォーカルがまず耳を惹くが、聴き込む内に見えてくるのは、さらっとシンプルにスタンダードに見えて実は相当に考え込まれ練り込まれ磨き抜かれたバッキング・プレイ/プロダクションの妙だ。イントロ1音めの、異様に筆圧高くも透明感あるギターの1リックに既に顕著に表れているが、この「バンド・サウンド」の要となっているのは、コックスとスティールによる、スカ/ロックステディに由来するミュート&スタッカートしたギターとベース、そしてその「ダブル」・プレイだ。ロックともパンクとも2トーン・スカとも古巣ザ・ビートとも今や遠く離れた、不思議にもプログレッシヴな単音リフによるコード表現が徹底されており、擬似クラシカルにして人力デジタライズドな独特のテクスチュアを生んでいる。それは、エンスーのみが渉猟から見つけ出すようなジャマイカン・クラシックのレアなレコードのサウンドのようにも、あるいは真逆にスクリッティ・ポリッティの『キューピッド&サイケ 85』に先立つ ’84年の3枚のシングルのサンプリング変調人力プレイのようにも聴こえる。ファースト・コーラス以降順次付け足されていくピアノ・リフ、ファンク・ギター・カッティングと並んで、ウォームでクラシカルでエモーショナルなソウル/ジャズ・ファンクの表の顔を造りあげているのは、コックスとスティールの2人が人知れず探究してきた汎ブラック・ミュージックの独自モダン表現型なのだ。渋く「裏方」を務め続けた2人の地味な隠れ天才ロックンローラーの倦まざる試みが、その名のとおりのギフトを授かり自己流ホワイト・ノーザン・ソウルの極致を示している。



チャートではファーストほど振るわなかったものの負けず劣らず上出来のセカンド・シングル「Blue」、地味に話題になりもてはやされたエルヴィス・プレスリーのカヴァー「Suspicious Mind」でも、ファイン・ヤング・カニバルズの鉄壁のメソッドは新規性と懐古性の魅力を心地よく併せ持ち、それはやがてトゥー・メン、ア・ドラム・マシン・アンド・ア・トランペットというコックス&スティールのハウス/テクノ実験プロジェクトを経て、セカンド・アルバム『ザ・ロウ&ザ・クックト』の大ヒットへと至る。レヴィ゠ストロースの著作に掛けたシャレのタイトルどおりアナログとデジタルの掛け合わせをさらに加速させたそのセカンドはアメリカ人には大受けを取るが、同時に私を含めたその道のエンスー勢からは急速に興味を失くされていく。げに危なかしきかな、ロックンロール奇術。スピリットとプロダクトの奇跡の結晶は色褪せやすくたやすくは成り難し。


  





 プライバシー ポリシー

プロファイル
eakum の音楽レヴュー
Author:eakum
スポンサード リンク






アーカイヴ

全過去記事のタイトル一覧