XTC『ママー』を飛ばし気味にあっさりながらも詳解


'Mummer' XTC
『ママー』 XTC


自分でもびっくりするくらい、私はこの『ママー』というアルバムについて語るべき言葉を持ってない。だから早々と、XTC初心者リスナーに対しては端的に言ってしまっとこう — 他の全部もしくは大部分のXTCアルバムを買った後でなら、飢え渇きゆえの落ち穂拾いの覚悟でなら、このアルバムも買ってよい、最悪でも「損」とまではいかない、と。



XTCの場合、「アルバム製作状況が最悪で」というのは、「最」の字を遣いつつも何度もよくあることなのだが、『ママー』にあってはそれがある意味本当に「最」悪なのだと言える。『スカイラーキング』が最適な対照例だが、XTCが往々にして状況を最悪にしてしまうのはむしろクリエイティヴィティゆえにであって、その産みの苦しみや無茶なチャレンジや執念い試行錯誤が素晴らしいプロダクトに結実してくれればリスナー側では大歓迎なのだ。が、その面から言えばこの『ママー』は、XTC史を見渡してみても異例なくらいに、気抜け・疲れ・息切れゆえの投げ出し・諦め・手慰めのアルバム青写真無理矢理リリースの感が否めない — ぶっちゃけ、やろうとしていたこともあまりなく、その僅かにあった「やろうとしていたこと」すらもやり切ることなく中途で済ませた、って感じだ。



と、ここまでヒドい言い草をしておきながらも、ほんの2、3曲のおかげで私は充分にこのアルバムを聴ける。このブログでのXTCレヴューではいささか異例のことながら、褒めたり気に掛けたりするのが難しい曲は大胆にすっ飛ばし、手抜きなまでに短めのアルバム・レヴューとしておこう。

1. Beating Of Hearts
前作『イングリッシュ・セトルメント』の流れを存分に汲み、しかも驚くほどに作詞術上の進化を上乗せした傑作曲「Beating of Hearts」でアルバムは幕を開ける。このアルバムの製作途上で脱退するテリー・チェンバーズが、『セトルメント』以上に人間ドラム・マシンっぷりを聴かせていて少し気の毒な気もするが、2回の超絶フィル・インに面目躍如の技が光る。モロには中近東〜インドの、加えてホモ・サピエンス社会の神秘でか巡り巡ってスコットランドの、そして結局はXTCアルケミーとしか言いようのない国籍・時代不明の架空の民族音楽のエグゾティシズムが溢れかえり、しかも楽曲構造・合奏構造にまでその探求実験精神が軽々と易々と具現化されている、プログレッシヴ実験ポップの雄XTCならではの比類のないマジック・リアリズム・パワー・ポップ。
一聴する分にはどう考えてもフェアライト系サンプリング・シンセとそのエフェクト加工音としか思えない不思議なギター音は、驚くことにアンディ&デイヴの実弾きギター群であり、詳細不明の伝統民族音楽の老ヴェテラン奏者のような奇怪な超絶プレイで聴く者の意識を異次元トランス空間に誘いこむ。シタール/バグパイプ/トルコ軍楽隊を想わせるプロフェットVの暴力的なまでの低音ドローンが、唄のバッキングの域を超えた出自不明のポップ/フォーク/エスニック音楽の未踏のメソッドを軽々と体現し時代性と地域性を攪乱する。
前作『セトルメント』までは未整理な激情のままに提示されていた感も否めないアンディ・パートリッジの主知主義的・人間中心主義的なシヴィア・ヒューマニズムは、ここでは高らかにも整合感を具えて明るく力強い確かな響きを獲得し、後の「This World Over」「Garden Of Earthly Delights」「The Loving」「Merely A Man」を先取りするようなユニヴァーサルに包括的な愛と希求と希望の歌となり得ている。『セトルメント』での世界一周を経てイングランド人性と世界市民性が高次に止揚され、グローバルなポップ/ロックの異能の巨匠となり得たXTCの、ひとつの見え難いブレイク・スルー・ポイントとしてこの1曲が持つ意義には量り知れないものがあり、『ママー』を聴く意味の大半はもう既にここに集約されていると言っていい。

3. Love On A Farmboy's Wages
ブリティッシュ・トラッド/アメリカン・ブルーグラス風味モロで、ごく標準的に「牧歌的」「田園的」と称されるこのアルバムの基調を印象づけメイン・ディッシュともなる、プレザントかつXTC印バリバリの傑作。
強いて寄せて考えれば、『ママー』のアルバム単位の流れには『スカイラーキング』を予告するようなところがあるとは言える。トランスィーでファンタスティックな桃源郷ポップのコリン・ムールディングの「Wonderland」からこの「Farmboy's Wages」への流れは爽やかな、あるいは潤いある初夏のムードで繋がっている。
一見ユーモラスな「皮肉と同情」型のフィクショナルなものに見えて、この曲の歌詞もまた後の「Earn Enough For Us」にも通じる、アンディ/メンバーの世界的ミュージシャンに相応しからぬ逼迫生活感情を反映させたものとなっている。と同時に、ツアー生活に別れを告げてどっしり腰を落ち着けての創作一本槍への静かな気概も窺えて、軽やかに柔らかにシャレめかした小品のようでいて実は馬鹿にならない名品。

8.(=B-3.)In Loving Memory Of A Name
個人的に聴いていられない/聴くに値しないと感じる数曲をすっ飛ばすと、もうB面3曲め、コリンの地味ながら捨て置けない名曲「In Loving Memory Of A Name」に行き当たる。
軽めのサウンド、シンプルな曲構成、踏み込み足りなめで情景描写にとどまる詞、とコリン楽曲にありがちなイマイチ、イマニなできでなくもないが、「イングランドはけっしてあなたに報いを返せない」のキラーなフレーズがそれらを補って余りある。と来れば、私に思い浮かぶのはこれまた『スカイラーキング』の「Dying」だ。アンディ・コリンの両ソングライターに共に、前アルバムでのアプローチの延長傾向と新たな傾向模索の端境期にあるような揺れ・ブレが見られるこのアルバムのレパートリー陣にあって、「なんてこともないが良曲」と言うべきこの曲の比重は大きい。



無体なまでにすっ飛ばしにすっ飛ばしてのレヴューとなったが、ではこの『ママー』が聴くに耐えない駄作中の駄作かといえばそんなこともないのだ。流れでいえばA-1〜A-3とB-2〜B-3の流れを、ジャズ/アンビエントな寛ぎへのトライアルでいえばA-2「Wonderland」B-2「Ladybird」を、私はそれなりに好んだり評価したりもできる。だが、「XTCのアルバムを聴く歓び」を考えると、ちょくちょく分断される流れや、奇妙にも過去作へ後退したような疑似トライバルなアプローチやプログレ色の陰鬱性、テリー脱退や反故認定や録り直しミックスし直し等に起因する継ぎ接ぎモザイク感が、褒めようにも褒められない不満足点として否めない。最初の段の言を繰り返すが、全部もしくは大部分のXTCアルバムを買った後でなら、飢え渇きゆえの落ち穂拾いの覚悟でなら、このアルバムも買ってよいのだ。もちろんあなたはあなたで、また別の魅力をこのアルバムにも見出だすであろうし。


  


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