暗黒大陸じゃがたら「タンゴ」 — 美しい音楽を 限りない歓びを あなたに#6


「タンゴ」 暗黒大陸じゃがたら


英米ロックを愛する者がフツーに愛せる日本のロックは少ない。音楽それ自体の力が完全なブラインド/通りすがり状況で耳を捉え心を奪う — そういうふうであったかどうかで量れば、「いや、これはスゴいだろ!?」と言う人だってモゴモゴとならずに済むことは少なかろう。



前後にいくつかの改名もある暗黒大陸じゃがたらは、「日本のロック」基準や史観から量る必要がカケラもない、驚異の'80年代ロックである。夭逝したリーダー/ソングライター/ヴォーカリストの江戸アケミにまつわる各種言説をいっさい読まず関心を持たずとも、暗黒大陸じゃがたらの価値は '82年のアルバム『南蛮渡来』自体で知れる。その収録作8曲(オリジナル)には、同時代ブリテンと地続きで、タメを張り、時には凌ぐグローバルな先鋭性・個性・古典性がしっかりあり、たとえば私には、ザ・ポップ・グループ - リップ・リグ・アンド・パニックの最強のライヴァル、かつ時空/脈絡を超えての完成型として聴け、したがって純然たるロックとして何のエクスキューズもなしに聴ける。



オリジナル盤A面ラストの「タンゴ」は、その中でも際立って完成度と普遍性の高い、先鋭と発明と熟練と独創を併せ持つ50年100年の古典だ。スタジオ内環境音のプレ・イントロからエンディングまで、たったのひとつも不要な音、不足な音がなく、美しく緊迫した磨き抜かれた3分17秒。ダブ/スカ/ファンクとパンク/ニュー・ウェイヴの内省・前衛の最上級のエッセンスが、あり得なく早産まれの10年選手ヴェテラン・バンドの軽めの十八番のように軽々と具現化されている。饒舌・奔放に瑞々しく曲のカラーを決定づけつつも抑えも利いたツイン・ギター、手堅く渋く土台を固めつつ随所で大胆な冴えを見せるベース、懐深く柔らかくもタイトに時にダイナミックにアンビエントを支え一音一音自体が潤いあるドラム、どこかおどろおどろしくも無国籍にミスティックなトースティング・コーラス、キーボード、パーカッション。都市圏の下層アメリカが、中世と現代がないまぜなカリブ海諸国のゲットーが、理性と生存ストラグルが地続きのイングランドの下町が、東京/新宿の夜と汗の許に当り前のように融合する。タイトにしてファンキー、シンプルにして濃密、猥雑にして端正。まるでザ・ドゥルッティ・コラムとエコー&ザ・バニーメンがレゲエに挑戦しルー・リードをバッキングしたかのような、クールでトランスィーなサイケデリアと歌モノの完璧なアマルガム。



個人的には長いこと、歌詞の一節「白い粉で」を耳だけで「白いカラーで」と捉え損なっていた私は、むしろ幸運だったと今も想う。「そう言われれば確かにそう」という仄めかされたテーマも、そうと知らないほうがむしろ謎と普遍の情感に満ち、ウィリアム・ギブスンやポール・ウェスターバーグにも通じるうら寂しくもどこか優しく響くハード・ボイルドな情景詩となっている。ブラック・フランシスの謂う「ドラマティックな何か」が伝わりさえすれば、ポップ・ソングにヒューマンなストーリー後付けや高尚な言説的価値は不要、ということのこの上ない証左になっているとも言えるだろう。



ヒューマン・ドラマや社会的ドキュメンタリーは、時としてアート以上に人の耳目を惹き心を動かす。だが、アーティストは自分の作品以上にそこに注目されることを望みはしないだろう。たとえばジミ・ヘンドリックスの人生がその作品以上に価値あるものではないように、暗黒大陸じゃがたらの音楽は音楽それ自体として十分な価値を持つ。





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