テレヴィジョン『マーキー・ムーン』 ー ちょっと贅沢な落穂拾いのB面


‘Marquee Moon’ Television 
『マーキー・ムーン』 テレヴィジョン


前エントリの最後で歯切れ悪く予告したように、正直、『マーキー・ムーン』のB面はA面の延長線上としてでなければ積極的に聴きたくなるようなものではない。もし何らかのプログラムでこのB面の曲だけを1、2曲聴くことになった人がいたら、その人がテレヴィジョンのファンになることはほぼないだろう。



とはいえ、既にA面の4曲を聴き、なんならそれを2、3回通し聴きした人なら、リスニング上の勘所が判っているわけだから、B面も十分に、でなくとも相応には楽しめるはずだ。テンポは概して遅めになり、テレヴィジョンなりの ”聴かせる” 曲調が多めになるとも言えるが、ダレを救うのはやはりギター、そしてそのヴォーカルへの押し入り強盗っぷりである。先立つエントリでは触れ損ねていたが、トム・ヴァーレインとリチャード・ロイドの2人のギタリストのソロ分担はきっちりクレジットにもあり、何度目かの聴き返し時には両者のプレイのカラーのちがいを意識してみるのも一興だ。



B面1曲目の不器用な異形のスロー・ブルーズ「Elevation」では、ヴァーレインのヴォーカル・スタイルが意外やブルーズ文脈を踏まえたものに聞こえて興味深いが、聴きどころはやはりギターにある。ヴァース終わりから急加速し特段のコーラス性もないコーラスをスリルとカタルシス満ちたものにする煽りパワー。五木の子守唄再びの、オリエンタルとブルーズィーの境目をふらつく奇怪にスリリングなソロ。手柄はほぼリチャード・ロイドにあろう。

2曲目「Guiding Light」はアルバム唯一のヴァーレインとロイドの共作。「Elevation」に続いて不思議にもヴァーレインが ”唄いあげる” 方向に注力しているように聞こえ、またキーボードも多用され美しめのバラッドが目指されているようだが、ほぼ場違いな試みと言ってしまっていいだろう。

3曲目のけったいなレゲエへの挑戦曲「Prove It」では、ドタスタ大騒ぎドラミングのビリー・フィッカの異能にも器用な冴えと独創性に、よくこんな曲をこんなふうに仕上げられたもんだなと変な感心をしてしまう。トーキング・ヘッズにも通じることだが、NYベースのバンド/ミュージシャンには音楽リスナーとしての脇道好みからの幅のある素養と勘が培われていることが多いように思える。

B面、そしてアルバムのラストは7分の長尺曲「Torn Curtain」。重苦しい陰鬱さの中に時に光が、そしてまた更なる陰鬱さと狂気的落下が交互に覗く迫力ある1曲。であるはずが、私にはやはり落穂拾い的な、ごくたまにしか聴きたくならない1曲。セカンド・ヴァース後とアウトロのヴァーレインのソロが聴きどころだが、同時にそれはこのB面の、またテレヴィジョンというバンドの限界を示すものと言えるかもしれない。ザ・ドアーズの「Light My Fire」は度々聴けても「The End」をしょっちゅう聴く人はいない、ってなところだろうか。



その後は ’78年『アドヴェンチャー』、’92年『テレヴィジョン(エポニマス)』ともう2枚のアルバムを放ったテレヴィジョンだが、よほどコアなファンでもなければその2枚を取り沙汰する人はほぼいない。後追いのファンである私などは、異能のギター侍となったリチャード・ロイドのその後の、マシュー・スウィートの『ガールフレンド』『オルタード・ビースト』でのプレイを少し感慨深く聴くくらいだ。げに玄妙なるかな、バンド・マジック。名もなき若人たちの名付けようのない何かの発露が歴史を変えることがある。



  


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