ザ・メン「Church Of Logic, Sin, And Love」— パワー・ポップの魔術師#7


"Church Of Logic, Sin, And Love" The Men
「チャーチ・オヴ・ロジック・シン・アンド・ラヴ」 ザ・メン


男2人女2人から成るザ・メンというバンドは、これまた日本ではFEN/AFRTSのジョー・ライリングの番組を聴いていなければほとんど知りようもないバンドだ。そのファーストにして唯一のアルバム『ザ・メン(エポニマス)』は、聴く価値が一切ないとは言い切れないまでも、わざわざ聴く必要があるとも言えないものだろう。



だが、この「Church Of Logic, Sin, And Love」に関して言えば、ザ・ナックの「My Sharona」とまではいかずとも、ブルー・オイスター・カルトの「Don't Fear The Reaper」やイヴァン・アンド・ジャロンの「Crazy For This Girl」と並ぶくらいにはパワー・ポップ愛好者の耳を惹いていいはずのプチ金字塔なヒットである。それはレッド・クロスの「Annie's Gone」やザ・リプレイスメンツの「The Ledge」を彷彿とさせる不穏でテンショナルなダーク・ロックンロールのかっこよさを持ち、イントロの十数秒でパワー・ポップ・マニアの食指を動かすに足る。



ポエトリー・リーディング的な不定形のヴァースが物語る二人の若者の話は、乾いたザラつく手触りの、裏返しのスプリングスティーン節とでも言うべき哀しいアメリカン・エヴリデイ・ストーリーだ。ダイナソー・ジュニアが奇妙にもあっけらかんと破滅願望を笑いながら詠い、やがてブルーズ文脈に傾いていったことをも連想させる。
熱意ある人は必ずそうしたくなるだろうが止めといたほうがいいのは、歌詞を手に入れ通しで読み、さらには訳してしまうことだ。おっそろしくガッカリすること必定、だから。イマジナティヴな謎めいた豊かさと美しさに満ちハードボイルドなロマンティシズムを喚起させてやまないフレーズの数々は、実は単に実在するものの端的な描写に過ぎず、したがってその歌詞の6割がたは事実の羅列に過ぎない。「詞/詩」としての独自の価値がたいして見当たらないのだ。2人の退屈し切った若者である「彼ら」が「the thing」とやらに行き当たった後、何が起こるのか?何も起きない。アリゾナのインターステイト10号沿いにある「The Thing?」というツーリスト・トラップ(旅行者ひっかけ、とでも訳すか)が派手な看板を出して車での旅行者をひっかけては1ドルの入場料で私設ガラクタ博物館を見せていて、彼らはそこでくだらないミイラなり何なりを見てまた退屈して去っていくのだろう。「the church of logic, sin, and love」とはその辺りの砂漠地帯のシャレた呼び名であり、ザ・メンが作った名フレーズでさえない。だが、そうであるにしても —
ザ・ピクシーズのブラック・フランシスがポップ・ソングの歌詞の価値について語ったインタヴューを想い起こす。'50年代の誰だかの歌詞 ー “In heaven, Everything is fine, You got your good thing, And I've got mine" — を引用しつつ「何だそれ、って感じだよね?でもドラマティックな何かが伝わってくる。ポップ・ソングの歌詞ってものはそういうものでさえあればいいんだよ」という風に語っていたのだ。
この「Church Of Logic, Sin, And Love」の歌詞もそういう例の典型である。日本人のわれわれだろうがアメリカ人リスナーだろうが、この歌を一聴して伝わってくるのは、まさにその「ドラマティックな何か」だ。まったく状況は分からないながら、2人のはぐれ物の若者と歌い手の「おれ」がたまたま出逢い、何か奇妙でもの哀しくも乾いた小さなドラマがあり、その挽歌/哀歌らしきものが歌われている。フタを開けてみればどうってことない、デキの悪い歌詞と言わざるを得ないのだが、聴いている間はそんなことこそどうでもよくなるのだ。
どんなロックンロール飽食家のすれっからしであろうと第1ギター・ソロの後のラスト・ヴァースには震えずにはいられないはずだ。ロード・ムーヴィー風の乾いた叙事詩の後、不思議にリリカルな哀感が炸裂する ー「そこは1963年あたりに宇宙探検家たちが離陸していったような場所だ。ケネディが『ライフ』誌に載っていたころ、すべてがアクアマリン色だったころ、アクアマリン色だったころ...」



'80年代末から'90年代前半、アメリカの「ロック・シーン」は英国のパンク/NWをも当り前に聴いて育ったオルタナティヴ勢にしっかりと浸食されていた。なぜか私はそこに、ポール・ウェスターバーグとウィリアム・ギブスンの大きな影を観る。センスの良い生粋エリートのパワー・ポッパー以外にも、おダサなむくつけきロックンロール・バンドの多くがクールでシャープでダークでリリカルでヒリヒリするようなオルタナティヴ・ロックンロールを奏でていた。オエイシスのアルバムを通しで聴いても1曲だにお目にかかれないクラスの名曲がワン・ヒット・ワンダーの手によっても作り出されていたのだ。すべてはいまやアクアマリン、アクアマリン... そんな風に寂しく呟きたくなる時代には来てほしくないものである。





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