XTCの最高傑作『イングリッシュ・セトルメント』についてたっぷりと序論


'English Settlement' XTC
『イングリッシュ・セトルメント』 XTC


XTCをアルバムごとにレヴューしていくことを戦略的に考えるなら、本当なら私はこの『イングリッシュ・セトルメント』を最後の最後までとっておくべきなのだ。『セトルメント』を語ってしまえば、その後の私には語るべき言葉数、語るための情熱が2割3割がたしか残っていないだろうから。それほどまでに私のXTCへの好み・敬意・評価はこのアルバムに依拠している。単に「好き」単に「気に入ってる」単に「よく聴く」では済まされないくらいに、このアルバムが私に提供してくれるものは数多く幅広く、また強力であるのだ。



それゆえ私は、『セトルメント』については、これまでのレヴュー形式・メソッドを放棄して、必要なら7エントリでも10エントリでも書くだろう。いつもなら「特筆すべきものでもなし」との評価からデキの悪い曲は飛ばすところを、今シリーズではそうした曲に至るまで細かくひいきの引き倒し的に語り倒してやろうと思う。



『イングリッシュ・セトルメント』がなぜそんなに特別なのか?そこには全て、もしくはほとんど全てがあるからだ。そこにはロックの全て、もしくはほとんど全てがある。ブリティッシュ・ロックの全て、もしくはほとんど全てがある。プログレッシヴ・ロックの全て、というよりプログレッシヴなロックのあるべき姿がある。ハード・ロックはほとんどないものの、ハードなロックのかなりがある。パンク・ロック、サイケデリック・ロック、モダン・ロック、オルタナティヴ・ロックの多くがしっかりきっちり十分にあり、しかも他では替わりの効かない姿で、ある。



そこにはもはや「これはこれこれなのでロック、あれはあれあれなのでロックではなくポップ」のような通り一遍の基準が通用しないレヴェルで、ポップのほとんどがある。ここにあるポップは、けっしてポピュラーではないかもしれないが聴く者が全て聴きさえしたらマイケル・ジャクソン以上にポピュラーになり得る完璧な真のポップである。ザ・ビートルズが目覚め、目指し、試し、途中で投げ出したようなポップの可能性がとてつもなく幅広く試され、しかも高確率・高レヴェルで結実している。「キング・オヴ・ポップ」などという尊称がもし意味を持つとしたら、それは誰にもましてXTCにこそ冠されるべきだろう。



『セトルメント』を聴くことは、XTCのその他のアルバム3枚から5枚ほどを聴くのに相当する巨大な満足をもたらしてくれる。1st.から4th.で試され場合によっては失敗し場合によっては半成功したにすぎないトライアルの数々が、このアルバムでは復習され再考され再学習され再解釈され再試行されてリヴェンジ戦の結果として成功している。6th.から11th.に至るまでの、トランスィーな、ビューティフルな、ファンタスティックな、ロマンティックな、リリカルな、ヒューマニスティックな曲の数々が、完成した雛形としてしっかり予告されている。



もし、その統一感ある完成度からその名も高き『スカイラーキング』を「最初の1枚」として聴いて「んむ?言われるほどこのXTCってバンドはたいしたものか?」という疑問を抱く人がいたとしたら、その人が次に聴くべきはこの『イングリッシュ・セトルメント』である。もっとも緻密で、もっともアグレッシヴにプログレッシヴで、もっとも振幅大きくロック/ポップの可能性への挑戦を見せた — しかもそれをスタンダードな4人編成ギター・バンドのフォーマットに忠実なままやってのけたこのアルバムは、XTCのあり方を代表的に示すものであると同時に、他のXTCアルバムのどれにもない独自の輝きを見せるものでもあるのだから。


 


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