『イングリッシュ・セトルメント』サイド2徹底レヴュー


'English Settlement' XTC
『イングリッシュ・セトルメント』 XTC


'English Settlement' というアルバム・タイトルに、私は前回「イギリス人の植民地」「アングル人定住」「英国流解決」と3通りの解釈での試訳をあててみた。「英国流解決」はメディア上では定番化した訳語だし、実際このアルバムのレパートリーにもイギリス — というかイングランド社会、イングランド人気質 — 的な歌詞/テーマは多い。だが、楽曲/サウンド/プレイ的には「現代イングランド流」もしくは「ブリティッシュ」では収まり切れない、どころかほど遠いもののほうが多いのだ。時代的ムードなら現代から近代、中世、古代にまでわたるし、地理的/民族的にはブリテン島からノルマン北欧、ギリシャ地中海、カリブ海、スペイン、アフリカ、北極圏にまでわたる。アンディ・パートリッジの新しく入手したアコースティック・ギターへの耽溺とトライアルが、いつのまにかに「イングランド人の自分たちと世界」「現代UKの自分たちと歴史世界」という対照コンセプトを生み、それがこのアルバムの、少しチグハグでバランスの悪いブリテン感とグローバル感のごった煮へつながった、と観るのはあながち間違いでもなかろう。



そんなわけでサイド2は、歌詞的にも音楽的にも100%ブリティッシュ/イングリッシュな「No Thugs In Our House」で始まるのだった。モータウン/ロックの伝統の「タンタンタスタス」単純ビートにゴージャスなツイストが随所で加わる、ストレートなようで匠のワザの光るパワー・ポップで、アコギと低音弦リフとのドラムの絡みっぷりに新生XTCのグルーヴ・メイカーとしての高性能っぷりがうかがえる。一見ザ・キンクス/マッドネス系の微笑ましい下町コメディが浮かぶストーリーだが、われわれの心の内に潜む社会的暴力性の源を鋭くえぐるパートリッジ節の見事な逆説プロテスト・ソングであり、『ブラック・シー』からの長足の進歩が殊にミドル・エイトに感じられる。

「各サイドの幕開けは威勢良く」ってわけばかりでもなかろうが「No Thugs」でやむなく中断された「70分間世界一周&タイム・トラヴェル」に「Yacht Dance」で戻ろう。徹底的な単音弾きの積み重ねがトランス感あふれるゴージャスなバッキング術となっているのが『セトルメント』全編にわたって見られる顕著な特徴と言えるが、従来のXTC史からは隔世の感と言えるほどにアコースティックでドリーミーなこの曲で、アンディ&XTCは従来のコアかつ偏狭なファン層にさえサヨナラを突きつけマルチ・タスク/マルチ・カラーのビートル求道へと大きく何歩も踏み出しているとさえ言えるだろう。
単純に速いBPMを、単純に空気を切り裂くディストーション・ギターを、単純にドカシャバ轟きわたるロック・ドラムを、単純に舌鋒鋭いプロテストを求めているのでなければ、この新生XTCのレイド・バックは物足りないどころか歓迎すべき新しく幅広いチャレンジの一片としてちゃんと評価できるはずなのだ — 実を言えばそれはレイド・バックですらないのだし。テリーのマシナリーにしゃかりきなハイハットと気怠くドリーミーなロート・タムは、3/4拍子のワルツ、というより3連シャッフル版16ビート=12ビートと言うのが相応な、プログレッシヴなリラックス/トランス感とスリル/スピード感を生んでいる。デイヴのナイロン弦のスパニッシュ・ギターとアンディのスティール弦アコースティック・ギターはブルー・インパルス的な分身の術トロンプ・ルイユの冴えを見せ、ヨーロッパ全土からアフリカ、中近東、インドに至るまでの呪術祝祭トランス音楽のルーツをおさらい学習/再構築するかのようだ。もともと美しくメロディックな素養を持つコリンのベース・プレイはフレットレスの導入で目一杯のスライドを見せ、またマッカートニー的なバロック・アプローチをいぶし銀に発揮している。全方向性ポップの実現のためマルチ・カラーのパレットを貪欲に求め始めたこの『セトルメント』での果敢で多様なチャレンジがなければその後の傑作曲/傑作アルバムもなかっただろう。

一見どこから見ても地味な感触の「All Of A Sudden ( It's Too Late )」にも、しっかりとした匠のこだわりのワザが活きている。引き続いてのスパニッシュ風味のリズム・ギター、ヴァースを繋ぐ間奏時のドンブラコッコンッコッコに顕著なヒスパニック土着ファンクネスとでも呼ぶべきオーダーメイドの独自グルーヴ、蝶の鱗粉が振りまかれるような、寄せては返す波のような12弦ギターのファンタスティック音色、もはや遠慮なくビートルライクなコーラス・ワーク。「美しい曲」を作ることにいっさいの衒いを捨てて挑む時のデフォルト改XTCの新しいサウンド文体がここにはある。
珍しいくらい「遊び着想」を含まないアンディの歌詞も負けず劣らず美しく、愛の、人生の、ヒューマニティの哀しいくらいの儚さ弱さままならなさを、まったく救いなく、怒るでも恨むでもなく淡々と詠っている。その恐ろしさはマッカートニーやバッドフィンガーにも通底し、にもかかわらずこの曲では、なぜか聴く者は泣いた後のような爽やかさと癒しさえ感じるのだ。



威勢よく始まったサイド2はこうして、『セトルメント』の隠れた真骨頂である深く地味に見えて後からじわじわ効いてくるいぶし銀の懇切丁寧グルーヴをたっぷり見せつけて短めに終わる。アナログ2枚組では食い足りなく感じられるほど素っ気なく淡々としたサイドとも言えなくもないが、その当時のアナログLPのフォーマットでは致し方ないことでありXTCの責ではないのだ。とはいえ、CDで通しで聴くとまた違うのかといえばそうでもなく... そう、サイド3ではうってかわってアフリカ大陸へと航海が進むのだが。


 


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