ザ・ウォーターボーイズ「The Whole Of The Moon」 — 美しい音楽を 限りない歓びを あなたに#2


"The Whole Of The Moon" The Waterboys
「ザ・ホール・オヴ・ザ・ムーン」 ザ・ウォーターボーイズ


「♪天国では 全てがOK 君には君の 俺には俺の いい物がある —
 何だ、それ!って感じだよね?でもドラマティックな何かは伝わってくる。
 ポップ・ソングの歌詞ってのはそういうものであればいいんだよ(大意)」
ロックンロールの無冠の異能貴公子:ブラック・フランシスの箴言だ。そして'80年代のブリテンで「ドラマティックな何か」を伝えてくる至上の歌を1曲だけ選べと言われたら、多くの人がザ・ウォーターボーイズの「The Whole Of The Moon」を挙げるのを厭うまい。



'80年代のブリティッシュ・ロック/ポップの百花繚乱の試みの多くは、例えばXTC、例えばザ・ストーン・ローズィズの包括的で正統的な「王道」と比べられれば、「時代の徒花」として黙殺・嘲笑のうちに消し去られることもままあるのだが、それでもそこには確かに美しく力強い遺産とヴィジョンがゴマンとあることは否定しようがない。その数多の名曲の中でもこの「The Whole Of The Moon」は、謎めく理屈抜きのエモーションとイメジャリーの力で50年後の一聴リスナーをも虜にする不可思議な魅力を放ちに放っている。



リーダーのマイク・スコットがどこを目指していたにせよ、その所謂「ザ・ビッグ・ミュージック」もまた'80年代NW以降の無数の流れの内のごく小さな一筋でしかなかったのだが、彼の一世一代の傑作「The Whole Of The Moon」ではその目指したところがほぼ具現化されている。極々スタンダードな、これといった冴えもない大編成バンドの平均的な演奏とサウンドにもかかわらず、この曲には、30年後の現在もそしておそらくはこの先30年後にも色褪せることのない古典的名曲の重みがある。それは彼の謂う「ザ・ビッグ・ミュージック」とは異なるかもしれないが、ずべてのロック/ポップ愛好者が基礎教養のひとつとして聴いておいて損のないビッグ・ミュージックである。



1990年11月3日付けの『レコード・ミラー』誌で、ザ・トラッシュ・キャン・シナトラズのポール・リヴィングストンはこの曲を、マイク・スコットによるロディ・フレイム(アズテク・カメラ)への讃歌だと、一種の内輪のネタばらしをしているのだが、たとえそれが全面的に事実だとしても、この曲の殊に「歌」としての価値はいささかも損なわれることはない。同郷のスコットランド人で常に自分の一歩先を行き、その素晴らしい音楽の数々が「俺が世界を彷徨い歩き何年も過ごす間、君はただ自分の部屋に居ながらにして、俺が三日月を見ている時、君は月の全貌を見る」と謳われているロディ・フレイムの才と業績。だが、この曲の素晴らしさは、それにインスパイアされたマイク・スコットの、打ちのめされ泣きたくなりしょげ返り、同時に感謝し感動し焦り憧れ荒ぶり燃え上がる音楽家の姿に、さらに言えば不完全ゆえに完全に憧れ手を伸ばす人間という存在の姿に、そしてその人間が音楽にすがり思いがけず報いられた姿にこそ、ある。



「The Whole Of The Moon」において、話者の「俺/私/あたし」はマイク・スコットでありザ・ウォーターボーイズでありわれわれ人間すべてである。「君/あなた」は誰かは分からない — ロディ・フレイムであるかもしれないし、吉永小百合であるかもヒエロニムス・ボスであるかも神であるかも友人/恋人であるかもしれない。誰であれ、「私」は「君」に心酔しており打ちのめされており、跪いて奉り慈愛を乞うて救いを求めたく思う不完全で劣った存在である。私がこうする時君はああする。私がこうであるのに君はああである。輝かしく天駆ける「君」と地を行く「私」が、雅語を多用した怒濤の修辞で徹底的に対比されている。だがこの「私」は自分を卑下して落胆しているわけではない。それほどに賞賛できる誰か、あるいは何かに出逢ったことを僥倖と感じ、歓喜ゆえの賛美と猛り立つ心火をも詠っているのだ。



更に言えば、「too high, too far, too soon」のフレーズには、「自分と比べてあまりにも」という以外に「〜し過ぎて」の失墜の予感も感じられる。他のディテイルからも浮かんでくるのは当然「イカルスの失墜」モチーフで、天才も聖人も超人も英雄もまた、いずれ墜ち、地を歩む者になるということが暗示されているように思える。輝かしい存在をただ崇め奉るだけでなく、その限界への哀惜の念までもが予告的に詠われている気がするのだ。



ここにおいてこの曲は、「そんな宗教めいた一方的な讃歌なんて聴きたかないね」という人をも動かす。讃歌であり、焦がれの告白であり、挽歌であるような、およそ「歌」に必要とされるほぼ全てを包括的に含んでいるような歓喜と哀切の驚異的なエレジーとなっており、少なくともポップ・ミュージックを曲がりなりにも愛好する人になら相手を問わずオススメできるものとなっているのだ。それはまさにビッグ・ミュージック。美しい音楽を、限りない歓びを、あなたに。


 


にほんブログ村 音楽ブログ 洋楽へ  
にほんブログ村




 プライバシー ポリシー

コメント

プロファイル
eakum の音楽レヴュー
Author:eakum
スポンサード リンク






アーカイヴ

全過去記事のタイトル一覧