冬が来〜ればマッドネす〜#3 — マッドネス『アブソリュートリー』を断固レヴュー


'Absolutely' Madness
『アブソリュートリー』 マッドネス 


日本ではバカ明るいだけの、したがってシリアスでなく、したがって「ロック」的文脈で語るまでもないバンドとされがちだったマッドネスは、聴く者が聴けばザ・ジャムやXTCのようないわば「同輩」バンドと変わるところなくロック・バンドなのであり、殊にそのザ・キンクスから連綿と繋がる「皮肉と同情」「市井からの斜め読み視点」「グルーミネス」においては、むしろファースト・アルバムから上記2バンドより顕著なのであって、セカンド『アブソリュートリー』において、そしてその「B面」において、それが大きな魅力の素となっている。



バンドの全メンバーが「曲作り」に関わる、というふうに私はファーストのレヴュー時に述べたが、正確に言うならそれはちょっと誤解を招く表現だ。クレジットを見ていくとピンとくることだが、マッドネスの詞/曲の合作態勢の多くが、ヴォーカリスト:マクファーソンかサキソフォニスト:トンプソンの作詞&歌メロディーとなっている例が多いと予測される。後々マッドネスが解散/分裂し「ザ・マッドネス」が生まれた時、その4人のメンバーはマクファーソン、スミス、フォアマン、トンプソンという、詞/曲を多く担当してきたメンバーであった。その辺りのことはサード以降のアルバム・レヴュー時においおいまたぞろ採りあげていくものの、1957年生まれのサックス吹きトンプソンが、マッドネス内のいわば「シニア・メンバー」であり(最年長はフォアマン)、故にその歌ごころや音楽制作アプローチや詩想表現法に一日の長があった、と考えるのは無理のない捉え方とは言えるだろう。マッドネスの泣かせ・不機嫌さとペシミズム・皮肉な陽気さが交錯するエモーショナルな歌詞・曲調の複合体には、「先輩」としてのトンプソンの段々の影響がマクファーソンやスミスの後の成長を促した過程を観ることができる。アルバムB面では泣かせや泣き笑いの要素がますます多くなり、初聴きでは地味めだったり小品多めだったりに聴こえるかもしれないが、秋冬の夜長に流し気味にでも聴きこむ内には「スルメのように」の魅力が表れてくるはず。派手さには欠けるが、B面のこの味わい深さこそが後々までのマッドネスの息の長い人気に繋がるのである。



8(B-1). Take It or Leave It
トンプソンとバーソンの曲。
クラシカルで典雅で悲愴感漂うピアノから始まる、「陽気なスカ・バンド」からはほど遠い様相のB面1曲め。プロパーなロック出自とは相容れぬ、ストレートならざるスカ/ロック・ステディ/レゲエ的なリズム隊のアプローチが不思議で不穏にもプログレッシヴにかっこよく気持ちいい。歌詞は一片の希望も提供しないままに懐疑と異議申し立ての堂々巡りに終り、マッドネスもまた同時代のロック・バンドの多くと同じメンタリティからの発信を怠っていず、それもまた「国民的人気」の土台のひとつであったことを示す1曲。

9. Shadow of Fear
マクファーソンとバーソンの曲。
一見明るく楽しげな軽いポップ・ソングでアルバム通し聴き上でのバランスを取りつつも、B面は不安・不穏さのヴァラエティに富んだ玉手箱となっている。こどもっぽく戯画化された通俗ホラー/スリラーめかしたこの歌のストーリーも、たとえばザ・ジャムの「Down In The Tube Station At Midnight」を連想させたりもしなくもないのだ。

10. Disappear
マクファーソンとベッドフォードの曲。
曲調は明るくアップ・テンポで一聴するに楽しげだが、詞は懐旧と不安に揺れる「巷」スケッチ型の小品。XTCならたとえば「Ball And Chain」に、ザ・ジャムならたとえば「Saturday's Kids」あたりに進みそうな詩想は、マクファーソンのポンっと投げかける程度の処理でまだ完成の域に達してはいない。ヴァース部からコーラス部へ、タイトでストレートなスピード感に移るリズム隊がマッドネスの万能ポップ/ロック・バンド文体の流暢さをさらっと示している。



地味めながら泣かせが加速する11曲めからを「B面後半」として次回に続けよう。





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