ザ・キュア「The Lovecats」 — ロックンロールの奇術師#1


"The Lovecats" The Cure
「ザ・ラヴキャッツ」 ザ・キュア


唐突にまた新シリーズなのだが、この「ロックンロールの奇術師」シリーズでは、パワー・ポップというには少々無理があり、さりとて一般的・標準的に「ロック」とだけ呼んでしまうにはあまりにもロックンロール・フィールに満ち、しかも「え?それはロックンロールと呼ぶには無理あるでしょ?」と言われても仕方がない、異色の、ニッチな、それでいてありそでなかった「発明」色に満ち、プロパーでないゆえによりロックンロールである、という傑作曲を紹介していく。実をいえばそういう口上もある意味後付けであるのだが、たとえばこの「The Lovecats」のような曲を、ザ・ビーチ・ボーイズの「Surfin' U.S.A.」のような「ロックンロール」と並列で語ることができようかと考えてみれば、このようなシリーズ立てもあながち無意味でも強引でもないことを納得してもらえよう。



ザ・キュアといえば、多くの人には大枠でゴシックだとか元祖シュー・ゲイザーだとかのおどろおどろしく陰鬱なイメージが思い浮かぶかもしれないが、私にとっての最初のザ・キュア体験はスティッフのコンピレーション・アルバムで出くわした「Jumping Someone Else's Train」であり、それは紛れもなくロックンロールのいちヴァリエーションであった。エコー&ザ・バニーメンのたとえば「Crocodiles」が暗くいびつな情念とニューロティックな焦燥感に満ちあふれていようとやはりその時代のアクチュアルなロックンロール性と不朽のドライヴ感を強く持ちあわせているのと同様に、ザ・キュアはスタート時からロックンロール・バンドとしても優秀であったのだ。



アルバム4枚を経てすっかり暗黒大魔王と化したかに見えたザ・キュアは、1982年末、突如として浮かれ気分のお戯れポップ「Let's Go To Bed」を、続けて「The Walk」「The Lovecats」を放ち、暗黒メンタルのゴス連中の代弁者どころでは済まされない本来のポップ/ロックンロール・センスをやけのやんぱちポジティヴィティの許に我知らず取り戻す。その経緯の奥には、最悪の自意識迷宮から立ち上がり「音楽を創り、それを練り上げていく」ということそれ自体に改めて目覚めたロバート・スミスとローレンス・トルハーストの、音楽というマジカルなクラフトの再発見の歓びがあったろう。



シングル「The Lovecats」でザ・キュアは、デカダンなお遊びホラー風味とエロティックな諧謔趣味と付け焼き刃と言うには余りにも堂に入ったリズム&ブルーズ素養を合体させたロックンロール奇術の粋を飄々と放つ。暗黒極まれりの前アルバム『ポルノグラフィー』のプロデューサーでベーシストのフィル・ソーナリーのダブル・ベースを筆頭に、スミスのピアノ、ギター、スキャット、トルハーストのヴァイブラフォン、とミュージック・ホールかバレルハウスかという「らしくない」ザ・キュアの悪乗り新局面が、ゴシックな自家中毒を祓い笑い飛ばすような痛快なメタ・ロックンロール快感を呼んでいる。折しもクラブ・カルチャー連動でジャズ/リズム&ブルーズ/ファンク/ソウルの再発明が進んでいた当時のブリテンにおいても、その洒落っ気とニューロティックなサイケデリアの融合は双手を挙げて歓迎されたのだった。



その後も「The Caterpillar」「In Between Days」と、新生ザ・キュアは生来のポップ・センスの活きたパワフルでキャッチーなヒット曲を飛ばすが、次の「Close To Me」には注目されざる瞠目すべきトピックがある。ソロになったジョージ・マイケルの大ヒット「Faith」は、プリンスの「Kiss」と並んであるいはそれ以上に、この曲のミニマルなアプローチにインスパイアされたのではと思えるのだ。「黒人音楽」からもっとも遠そうなヨーロピアン神経症ロックの雄が、汎リズム&ブルーズの脱構築でロックンロールの大奇術を見せる — なんと幸福なセレンディピティであろうか!



  


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