ルシャス・ジャクソン「Here」 — ロックンロールの奇術師#2


"Here" Luscious Jackson
「ヒア」 ルシャス・ジャクソン


ニュー・ヨークのダウンタウン、人種のサラダ・ボウル、ヒップ・ホップ、『グランド・ロイヤル』レーベル... といったイメージに引きずられれば、ルシャス・ジャクソンの音楽をロックンロールと呼んでしまうのを奇異に感じる人は多かろう。実際には私だってルシャス・ジャクソンをロックンロール・バンドと考えているわけではない。だが、この「Here」を採りあげようと思った時、私はそれを「未知なるトランス」シリーズにも「魔術師」シリーズにも振り分けられなく感じたのだ。そして一旦「ロックンロールの奇術」を冠してみれば、なるほど妙にぴったりくるのだった。



女性オンリーのロック・バンドを思い浮かべる時、ルシャス・ジャクソンは理想型にして珍しいくらいにモノホンなバンドで、他に匹敵するようなバンドがほとんど思い浮かばないくらいだ。むかーし昔のなんちゃってバンドを除けば皆無に近いんじゃなかろうか。それは逆説的にはルシャス・ジャクソンが、女性だけで作られたバンドであるというよりは、ヴィジョンと志向の合うメンバーが集まったらたまたま全員が女性で腕のいいミュージシャンであったと言うほうが近いことを示唆していよう。



そのレパートリーのどれにも増して、私はこの「Here」に、荒ぶる雄叫びを上げるアネゴたちの熱くもトッポいかっこよさを感じる。ファンク、ディスコ、ヒップ・ホップ、ラップの各種の快感原則に沿ったスタイル/メソッドを基礎としつつも、この曲には「この4人がたまたま、かつ運命的にも出逢い、一緒に音を出すとそれだけでこんなにも気持ちいい」という初期衝動型の歓びが満ちあふれている。所謂「才能」のあるなしを問うことも問われることもなしに、「上」からああだこうだ言われることもなしに、やっと自分が思うとおりの音を出せるバンドに入れた、というような。



特段にファンという程度ですらない私は、正直言おう — 特別な才能あるいは天才を持っていると言えるメンバーはベース&ヴォーカルのジル・カニフだ。ヴォーカル・スタイルや曲への向きあい方、作詞術とメンタリティ、ベースという「地味」な筈の担当楽器で曲を緩急自在に支配し盛り立てるセンスと野生の勘。まったく似てもいないにもかかわらず、私はそこにスローンのクリス・マーフィーやポール・マッカートニーに通底する能力を見出だす。自在でやんちゃなのに深いヴォーカリスト/ソングライターとしてはエディ・ブリッケルやエディ・リーダーやリジー・メルシエ・デクルーやも浮かぶ。



ところがルシャス・ジャクソンは、"ジル・カニフ&ハー・バンド" になってはいない。グルーヴ1発押し切り型のこの「Here」では、とにかく手足を動かし続けろ、とにかく声を出し続けろ、そして16ビートを刻み続けて、できたらそこに1フック入れてけとばかりに、肉体労働者かアスリートのチームのような競い合いと共同作業が奇跡的に両立しており、最初っから最後までカッコイイこと尽くめで成り立っている。



センスが良いのか悪いのか、ヴィヴィアン・トリンブルのブラック・ポップ文化流チャイニーズ風味シンセ・テーマはスティーヴィー・ワンダー風ゴリゴリのクラヴィネット音で下支えされている。ヒューマン808と化したケイト・シュレンバックは要所でカウベルを連打しクラッシュ・シンバルを叩く以外はハイハットに没入する。ファンク・ギターのリズム弾きの虜かと思われたギャビー・グレイザーはドスの効いた低音でクールなラップとノン・コーダルなコーラスで時折不穏にシメに来る。必然か偶然か、あるかなきかのミドル・エイトはザ・ビートルズの先鋭古典ファンク:「The Word」へのオマージュのよう。完全にダンス/グルーヴ・チューンでありながらも、突っ走り笑い転げるけたたましい痛快ロックンロールでもあるのだ。



ファンでもない私はよく知らないが、ジルとギャビーはザ・スリッツやギャング・オヴ・フォーなどのポスト・パンク期のコワモテ音楽のファンだった由。自由でハッピーなフィールにタフなフェミニズム色がのぞくのもさもありなんという気もして、ますます希有な女性ロック・バンドの本格を実感させるのだった。


  





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