チャールズ・ミンガス「Haitian Fight Song」 — 未知なるトランスを夢に求めて#6


"Haitian Fight Song" Charles Mingus
「ハイティアン・ファイト・ソング」 チャールズ・ミンガス


私にとってのトランス・ミュージックの、小さからぬ、どころかかなり大きな割合は、広義の「ファンク」によって占められている。アーチー・ベル&ザ・ドレルズのあれやスペンサー・デイヴィス・グループのあれや、ガビ・デルガドのトーキング・ヘッズのブラインド・メロンのデューク・エリントンのプロフェッサー・ロングヘアの... と枚挙にいとまがなくなるほどに。思うにファンクの身上のひとつに「あるグルーヴである時間を支配すること」があるからではなかろうか。基本的には狂躁とダンスの音楽であるはずのファンクが、発明的なまでのグルーヴでヘッド・ミュージックとして私の精神を奪いきる時、私はそれをトランスと呼んでいる。



チャールズ・ミンガスという名を、文字を通して間接的に「モダン・ジャズ」の人だと思っていた私は、何かのラジオ番組でこの「Haitian Fight Song」を聴いた際、これはまさにエリントン・ミュージックだなと1発で虜にされた口だ。文字を通して事後的に知ったところでもミンガスは確かにエリントンの信奉者で後継者を自負するミュージシャンだった。「ジャズ」というジャンルになにかしら胡散臭げな不信感みたいなものを感じているロック/ポップのリスナーこそ、エリントンを、ことに初期の、所謂「コットン・クラブ時代」辺りのエリントン・オーケストラを聴いてみるといい。そこには命名される以前の、前ジャンル的なファンクが濃厚にあり、しかもそれは「黒人音楽」のイメージを超えて純粋抽象のトランスとしても響く。そしてそんなエリントン的ファンク/トランスを濃厚に再現する逸品として、「Haitian Fight Song」は私の常なるフェイヴァリットであり続ける。



リズム&ブルーズからロック、ファンクにまで受け継がれるファンクネス溢れるベース・リフを主軸に、英国'60年代ロック・バンド勢を憧れさせたモータウンもかくやというダイナミックなドラムのフィル・インが轟き渡り、野卑にしてどこか不穏でもあるホーン隊がうごめき、やがて咆哮する。その派手なテーマ提示が終わるとしばしスリルとクールネスを湛えたソロ/デュオ/インタープレイの長いトリップ。たっぷりしたミンガスのバロッキーなソロを経て再び混沌の極みへ登りつめる全バンドでのフル・パワーでのテーマ。ピッグバッグやリップ・リグ&パニックも目指したであろう狂熱と陶酔と覚醒の、整理されざる祖型の純生エナジーが12分間に及んで頭を痺れさす。酒場の、夏の、夜の、汗の、ニュー・ヨークやニュー・オーリンズの、ハイチの、南海の島の、イメジャリーと存在し得ないノスタルジーの心地よいリラックス感が、いつのまにか幾何学的解析にも似たヘッド・ミュージックの快感に変わってゆく。ブルーズ/ジャズのブラック・フィール色濃いサウンド空間が、いつしか純粋抽象の透明な瞑想空間へと私を導き入れている。



変化と反復、興奮と覚醒、感情と理知、連想と実体、肉体と頭脳 — その一筋ならぬコラボレーションのグラデーションの内の、どこかで私を捉えるトランスが生まれている。ジャズにファンクにロックにテクノに現代音楽に、そこかしこにいつでも私の発見を待っているトランスがある。それらはなぜか私を泣かせず、代わりに澄んだ正気の静謐タイムをもたらす。思いがけない猟場での思いがけない出逢いを重ねるごとに、私のトランスへの渇きはより幅広く強いものになる。未知なるトランスを夢に求めて、私は各ジャンルを食い散らかすのだ。


 


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